20年前の私が今を見たら

20年前の私が今を見たら、きっと喜ぶだろなと思う。10万円近くする一眼レフカメラは4000円以下で買えるし、IXY310にいたっては、100円で買える。コンピュータにおいては、フランス語と日本語の混在環境は難なく可能だし(さらに共有も可能だ)、インターネットはこれほどに充実している。WikiWikiWebというシステムがあり、知の構築に不自由しない。超漢字もしかりだ。あの頃に超漢字があったら、泥臭い全文検索とは違う情報ネットワークを作っていただろう。音楽を聴くと言うことにおいても、デジタル音楽プレーヤはあたかもジュークボックスのような形になり、簡単に好きな音楽を聴けるようになっている。本当にいい時代になったなと感じる。

あの頃に今の環境があっても、そうそう書くことはないかもしれないが、あの頃できなかったことが今手の届くところにある。

実を言うと最近、新しいマッキントッシュが発売されたので、欲しいなと思ったのだ。特に新しいMac Miniはこれからマッキントッシュを使おうという人にとってはとても敷居が低い。買わんかなという気持ちで、アップルのサイトを眺めていたが、だんだんと欲しいという気持ちが小さくなった。マッキントッシュでなくてもいいかなと言うことだ。最近自分の行っていることを振り返ると、大抵がウェブブラウザを使って作業している。閲覧だけでなく、文章を書くにしてもWikiを使って、ウェブブラウザ上で文章を書いている。もしくは、VMwareを使って超漢字を起動して文章を書くか、TeraTermを使ってLinuxでLaTeXを使っているか、いずれにせよマッキントッシュである必要はないのだ。それはウインドウズである必要もないと言うことに通じる。

ファイル(もしくはファイルシステム)なんて必要ない、OSが何であれ一緒だ、という意見は乱暴かもしれないが真実を突いていると感じる。パソコンが家電に近づいてきた証なのだろう。私の息子の世代がコンピュータをどのように使いこなすか興味がある。今のところ、飽きては捨てる数あるおもちゃの一つに過ぎないようだ。私にとってはかけがいのない憧れの物であるのだが。

憧れのマッキントッシュを一度手にしたことがある。往年の名機 SE/30だ。大学の端末がこれで、たいそう憧れた物だ。あの頃のマッキントッシュと現在のマッキントッシュがどのように変わったのか、あまり変わってないのか分からないが、ともかくあの頃は憧れていた。手に入れてちょこっと使ってみたのだが、ネットには繋げない、大したことはできない、とすぐに飾り物にしてしまったのだ。そのうち起動できなくなり、粗大ゴミとして捨ててしまった。今にして思えば惜しいことをした。久しぶりにSE/30のページを見たが、なかなかいい感じだ。今のOSは良くも悪くも面白くない。ウィンドウズもマックも変わり映えのしないOSなのだなあと感じる。OSの本質からすれば面白い必要はないのかもしれない。

話が散漫になったが、結論を以下に記す。

結論:
・現在はいい時代だ。
・OSはなんでも良い。



ハードディスク障碍
生ごみ処理機
wordpress頓挫
wordpressを導入
はーい、藤田でーす

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このページは、ちんみが2009年3月 5日 21:07に書いたブログ記事です。

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