先日から、J.M.G. LE CLÉZIO の Poisson d'or を読み始めてる。やはり読んでいて楽しい。せっかく読んでいるので、私家版として翻訳しながら読んでいる。公開することはできないが、自分なりの解釈として記録している。以前、同じ作者のダビッドという作品を私家版として翻訳したことがある。その時も大変楽しかった。
On arrive!
ノーベル文学賞
LaTeXで検索可能なPDF
超漢字ウェブコンバータ
勝手にフランス月間
このブログでは基本的に時事的な事柄を取り上げない。理由は一過性の話題になりやすいからだ。しかし、和歌山毒カレー事件の最高裁判決が出たと知り、それが死刑判決だと知るに及び、一種の気持ちの悪さを感じたため、ここに書き記すことにした。この気持ちの悪さがなんなのか、最初は自分でも分からず、しばらく考えてみた。考えた結果、カフカの審判を読み終えたときの気持ちの悪さと同じだと思い至った。
カフカの審判では主人公のヨーゼフ・Kが何の理由だか不明のまま逮捕され、裁判が行われたのか、そうでないのか判然としないまま、判決が下され(実はそれすらも不明だ)、犬のように殺されるというものだ。そこには理由も動機も裁判も判決も何もない。何もないが、主人公の死というものが最後に突きつけられる。主人公はその場その場に応じて、最善の方法をとろうと努力するが、それが本当に最善の方法なのか、全く見当違いなのか、それすらも分からない。この自分が自分でないかのような感覚、考えていることが考えていないかのような感覚、居場所が居場所でないような感覚、そういった曖昧で不確実な感覚が、気持ちの悪さを与えているのだ。
同じようにこの和歌山毒カレー事件もまた、動機も分からない、決定的な証拠もない、何も分からないまま、死刑判決が下される。私はここに不条理な文学的側面を見たのだろう。それがブログにこの事件を取り上げた理由だ。カフカの審判(1914年)が世に著されてから百年がたとうとしている。不条理文学の世界が現実のものになろうとしているのかと思われる。無論すでに、カフカの城における官僚主義に至っては、とうの昔から現実のものになっている。
妹背山婦女庭訓
Poisson d'or
ローマ字日記
LaTeXで検索可能なPDF
ブログを書くということ
昨日から始めたptetex3の構築だが、ようやく目的が達成できた。
つまり、LaTeXで検索可能なPDFを作成することだ。思えば、十数年前、同じようなことを考えて、その時はうまくいかなかった。それが今、設定を間違えなければ、いとも簡単に構築できる。最近つくづく感じるがいい時代になったものだ。今は、wikiwikiwebもあるし、フリーの高品質なフォントもあるし、高速で常時接続が可能なインターネットもある。全文検索ソフトもフリーソフトで存在する。CMSという便利なソフトウェアもある。ネットから離れれば、超漢字という別次元のソフトウェアもある。昔かなわなかった夢が今かなっているのは本当に幸せなことだ。
サーバにVine Linux 4.2を使っていることが功を奏した。ptetex3を使う上で、Vine Linuxが一番都合がよいのだ。apt-get install task-tetexであらかたの作業は終わってしまう。後はネットで情報を見つけながら、設定とファイルの置き場所を間違えなければ、必ずうまくいくはずだ。よく分かっていなかったため、ファイルの設定やIPAフォントの置き場所を間違えて、ずいぶん遠回りをした。しかし、落ち着いてやれば必ずうまくいく。
日本語とフランス語混ぜた文章を特別なワードプロセッサーソフトウェアを使わずに書くことができる。そのデータがいつまでも利用可能なのは大変嬉しい。別の話だが、十数年前に同じように書いたワードパッド(かもしくはワード)の文章は、WORD2003で読み込むことができない。namazuでも、WORD2とメッセージが出て、読み込むことができない。他のどんなソフトウェアでも読み込むことができない。その点、ジャストシステムは過去のデータでもビュアーできちんと読み込むことができる。当たり前のことなのだろうが、こういう点は評価したい。結局、自分自身の予感は当たっているわけだ。ワードは信用できない。
結論:夢がかなって嬉しい。
vmware playerの不具合
ファイル名をUTF-8化
パールとメカブと案山子
MTOSが正常動作する
MTOS-4.2rc1-ja
ブログを書きすぎると人に言われることがしばしばある。確かにそうかもしれない。
しかし、自分が大学生だった頃、草の根ネットで書き込みをしていた時は、一日10から20本くらいの書き込みをしていた。今はせいぜい書いても一日5から10本くらいだ。昔の頃に鍛えているので、今のこの量では実をいうと全然物足りない。このくらいなら、いくら書いても苦にならない。元々書くのが好きだというのがあるのだろう。実際、書きたいおもしろネタはいくらでもあるのだが、あえて自制しているくらいなのだ。
ハードディスク障碍
生ごみ処理機
wordpress頓挫
wordpressを導入
はーい、藤田でーす
Movable Type Open Sourceでフランス語を入力するとどうなるかのテストだ。
J'ai étudié la litérature française.
私の大学の卒業論文は、J.M.G. Le ClézioのLE PROCÈ-VERBAL(調書)だ。
現在の本業ではまったく役に立たないが、せっかくなのでなるべくフランス語を思い出すべく、使ってみようと考える。
妹背山婦女庭訓
Poisson d'or
和歌山毒カレー事件とカフカの審判
ローマ字日記
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昨日クライストの「話しながらだんだんと考えを仕上げること」について書いた。そのとき思い出したことがある。岩波文庫の復刊シリーズというのがあり、それが始まる当初、一般読者からリクエストを募った。もう二十年くらい前の話だ。私はそのとき、クライストのこわれがめの他、様々な作品の復刊リクエストを行った。高校生の時の話だ。明治学院大学文学部フランス文学科の推薦入学オリエンテーションというのがあり、そのとき先輩OBに復刊リクエストの話をした。そうしたら、その先輩OBというのが岩波書店の社員だった。社内で、変な復刊リクエストをしてくる奴がいると話題になっていたんだ、それがお前か! あんな売れない本復刊できるかっ、と奇妙な巡り合いをしたのだった。しかし、その後クライストのこわれがめは復刊したのだった。大変うれしかった記憶がある。
妹背山婦女庭訓
Poisson d'or
和歌山毒カレー事件とカフカの審判
ローマ字日記
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私は昔から文学が好きで、しかもフランツ・カフカが好きだ。フランツ・カフカの作品を読み進めていくうちに、ハインリッヒ・フォン・クライストという劇作家を知るようになる。彼の作品はそれなりに読んでいるが、ほとんど全く記憶に残っていない。「こわれがめ」は読んだはずだ。「ミヒャエル・コールハースの運命」は最初の数ページで挫折した気がする。
しかし、この「話しながらだんだんと考えを仕上げること」は全く違った。おもしろくて、今でもしばしばこの作品の内容を実践している。この作品は小説ではなく評論といったもので、いかに話しながら考えをまとめていくかを丁寧に論じている。私は文章を書く上で、作中人物に会話をさせる際、このやり方をよく用いる。つまり、会話をさせながらある一定の方向へ考えを導くというやり方だ。こういう時に、このクライストの作品がとても役立つ。もう一つ、会話の方法としては、アルフレッド・ミュッセの恋愛会話術は大変に役立っている。会話をしながらどんどんと話を変えていくのは、彼が断然うまい。一方登場人物に話をさせて、会話を破綻させたり、別の話にすり替えたりするのが上手なのはフランツ・カフカだ。いずれも文章中の会話や、現実の会話に非常に良く役に立っている。
こんな昔の、あまり人気のないドイツ劇作家のことならインターネットに情報がないだろうと思ったら、案の定あまりない。人気はないが、私はこの作家がとても大好きだ。特にこの作品は別格である。
ウェブストアのアマゾンにもクライストの作品はないだろうと考えていたら、思ったより大変品揃えが良かった。全集まで存在する。アマゾンにない作品を紹介して、アフィリエイトが張れないと書くつもりだったが、せっかくなので、アフィリエイトのテストをする。有名どころの作品ではなく全集にアフィリエイトするのだ。
妹背山婦女庭訓
Poisson d'or
和歌山毒カレー事件とカフカの審判
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